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東京地方裁判所 平成6年(ワ)19033号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

中村れい子

高岡香

渡辺智子

被告

社会福祉法人日本心身障害児協会

右代表者理事

津山直一

右訴訟代理人弁護士

竹田穣

渡邉純雄

被告

乙川一郎

右訴訟代理人弁護士

伯母治之

主文

一  被告らは原告に対し、連帯して金三〇〇万円及びこれに対する平成六年三月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告らは原告に対し、連帯して金一一〇〇万円及びこれに対する平成六年三月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  判断の基礎となる事実

1  原告は、昭和三八年生まれで現在三一歳の女性であり、脳性小児麻痺による体幹機能障害のため、両上肢、両下肢に麻痺がある。

2  被告社会福祉法人日本心身障害児協会(以下「被告法人」という。)は、総合的な福祉サービスの提供を目的とする法人であり、島田療育センター(以下「被告病院」という。)を経営している。

3  被告乙川は、平成二年四月からレントゲン技師として被告病院に勤務していたが、平成五年三月三一日被告病院を定年退職し、その後嘱託として、引き続き勤務した後、平成六年七月三一日退職した。

4  原告は、昭和五九年から介助者を入れて自宅で一人で自立生活を営んでいたが、頸髄症が悪化し、痺れ、痛みが強くなったため、平成六年二月二日、被告病院で高橋勇医師の診察を受け、緊張性アテトーゼ型脳性麻痺、頸髄症の診断を受けた。

その後、被告病院では、原告を短期病棟に入院させて約三か月間を目途に頸髄症の症状軽減の治療及び集中訓練を行うこととし、原告は、平成六年二月七日、被告病院の短期病棟に入院した。入院後、原告は高橋医師を主治医として、頸髄症の症状軽減の治療及び訓練を受けていた。

5  高橋医師は、平成六年三月一八日、原告の頸椎のレントゲン撮影をすることとし、正面の一枚、側面の一枚、左右斜位の各一枚の合計四枚の撮影を被告乙川に指示した。

原告は、高橋医師の指示に従い、同日午後、武藤看護婦に付き添われてレントゲン室に入った。

6  レントゲン室内では、被告乙川が背中から抱え、武藤看護婦が足を抱えて原告を車椅子からレントゲン台に移動させた。その後、武藤看護婦はレントゲン室から退室し、被告乙川は正面及び側面の二枚のレントゲン撮影をした。その後、被告乙川は病棟に電話して武藤看護婦を呼び、同人がレントゲン室に戻った後、左右斜位のレントゲン撮影をした。

(以上の事実は、当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨により認められる。)

二  原告の主張

1  原告は、平成六年三月一八日午後一時四〇分ころレントゲン室に入った後、武藤看護婦が退室後再び入室する午後二時過ぎまでの約三〇分間にわたり、被告乙川から性器及び胸に触る猥褻行為を受けた。

被告乙川が行った猥褻行為は、次のとおりである。

(一) 原告を車椅子からレントゲン台に移動させるために被告乙川が原告の背中を抱えた際、原告は被告乙川にトレーナーの上から胸を強くつかまれた。このときは、体を抱えるためやむをえずつかんだのかとも考え、黙っていた。武藤看護婦はこのことに気付かないようであった。

(二) 被告乙川は、原告をレントゲン台に寝かせた後、ショーツの下に手を入れ、性器付近に触れた。しかし、レントゲン技師が猥褻行為を行うということに、にわかに確信が持てず、何もできずにいた。その後、被告乙川は、トレーナーの裾から手を入れ、鎖骨の位置を確認するふりをして、両胸をなでるように触った。

(三) 被告乙川は、その後、武藤看護婦に対し、「動かないので付添いはいらない。」と告げて退室させ、レントゲン室の内側からロックした。原告は外部から遮断された密室内で被告乙川と二人だけにされ、恐怖と不安を強く抱いた。

被告乙川は原告に対し、「おしっこがちゃんと出るかどうか調べてあげるね」といいつつ、原告のスウェットパンツ、ショーツをいきなり膝のあたりまで下げ、「こわくないからね」「痛くないからね」等といって原告の性器に触り、数回にわたって膣に指を入れ、指のにおいを嗅ぐ等し、さらに、「気持ちいいんだろう」といい、トレーナーの裾から手を入れ、両胸をなでるように触り、「動かないで撮らせてくれたら気持ちいいことしてあげる」等といった。

(四) 被告乙川は、武藤看護婦が退出した後のレントゲン室で、約三〇分間のうちに二回レントゲン撮影をしたが、一回の撮影が終わると、原告の性器や胸を触る猥褻行為に及び、そしてまた撮影をするという行為を繰り返した。

2  被告乙川の行為は、両上肢及び両下肢に麻痺があるため抵抗することが不可能な原告に対する強制猥褻行為であり、卑劣極まりないものである。原告は、右猥褻行為によって、膣内に傷害を受けたほか、癒すことのできない精神的打撃を受けた。

原告は、単に性的自由を侵害された屈辱感だけでなく、女性障害者ゆえにこのような被害を被ったのではないかと感じ、女性としての自己の誇りを踏みにじられた屈辱感を抱かざるをえなかった。また、障害のため、逃げることも、助けを求めることもできず、その恐怖感は極めて大きかった。

両上肢及び両下肢に麻痺がある原告は、日常の生活においても、介助者の手を必要とし、ちょっとした外出にも困難を伴うのであり、そのような原告にとって、他人に対する信頼は、生きていく上で不可欠のものである。被告乙川の行為は、この信頼を大きく傷つけるものであり、原告の受けた精神的苦痛は重大である。

このような原告の精神的苦痛に対する慰謝料は一〇〇〇万円を下らない。

また、原告は弁護士に委任して本件訴訟を提起せざるをえなかったが、そのために必要な弁護士費用は一〇〇万円を下らない。

3  よって、原告は、被告乙川及びその使用者である被告法人に対し、不法行為による損害賠償として、連帯して一一〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である平成六年三月一八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。

三  被告法人の主張

被告病院は平成六年四月一一日付けの原告代理人からの書面により、初めて本訴請求に係る主張を知ったものであり、その後、被告乙川に事情を聴く等の調査をしたが、同被告は原告主張の事実を強く否定しており、被告法人には、いまだ真相は不明である。

四  被告乙川の主張

被告乙川が平成六年三月一八日午後一時四〇分ころ原告のレントゲン撮影をしたことは認めるが、原告が主張するような行為を行ったことはない。当日の状況は、次のとおりである。今回、このような訴えの提起を受けたことは、被告乙川にとって極めて遺憾であり、逆に被告乙川が耐えがたい苦痛を受けている。

1  平成六年三月一八日午後一時四〇分ころ、原告がレントゲン写真撮影のため、武藤看護婦に付き添われてレントゲン室に入ってきた。被告乙川と武藤看護婦は、二人で原告をレントゲン台に移動させた。

2  原告をレントゲン台に移動させた後、武藤看護婦が「撮影時間はどのくらいかかりますか」ときいたので、被告乙川は「頸椎四方向の撮影なので、約二〇分くらいかかる」旨答えた。すると、武藤看護婦は「撮影が済めば病棟に連絡ください。迎えにきます。石川さんはそれほど動くことはありませんから、撮影台から落ちることもないと思います。よろしくお願いします。」と述べて退室した。なお、その際、部屋のドアは閉めたが、鍵をロックすることはなかった。

3  被告乙川は、撮影の準備をしてから、頸椎部の正面及び側面の撮影を二回行った。その後、斜位(傾斜角度三〇度)撮影に移ろうとしたが、原告自身で角度を保っていることが困難のようであったため、介助の依頼のため病棟の武藤看護婦に電話連絡した。すると、武藤看護婦がすぐレントゲン室に戻ってきたので、斜位(左、右)の撮影を二回行った。

4  レントゲン撮影に際しては、診断価値のある撮影をする必要があることから、一枚撮影するごとに写真の出来ばえを確認する必要がある。一枚のレントゲン写真が完成するまでに、撮影に約二分、現像に約三分、合計約五分くらいの時間を要する。一回一回撮影を済ませた後、すぐに暗室作業に取り組むことになるのである。

被告乙川の右一連の作業の工程を見れば、同被告が原告に対し猥褻行為をするような時間的余裕がないことは明らかである。

五  争点

1  被告乙川の原告に対する猥褻行為の有無

2  被告法人の使用者としての責任の有無

3  原告が被った損害の額

第三  争点に対する判断

一  本件事件の特殊性と事実解明の経過

本件事件は、被告病院のレントゲン室で原告のレントゲン写真撮影をする間に、原告が被告乙川から猥褻行為を受けたことを理由とする損害賠償請求事件である。ところで、原告の訴えは、病院のレントゲン室という密室内の出来事に関するものであるため、原告の主張する猥褻行為に関する目撃証人はない。また、原告主張の不法行為の内容は猥褻行為であり、原告は、翌々日、医師の診察を受けているものの、その時点では、出血や創の確認はできておらず(証人三田の証言)、また、当日の夜の看護記録には膣からの出血の記録がされているものの、生理による出血である旨の記載となっており(乙イ第四号証)、そのほかには、原告の主張を裏付ける物的証拠はない。一方、被告乙川はその行為の存在を強く否定している。このような事情にあるため、本件事件については、真実解明の困難性が生じている。

仮に原告の訴えのとおりの事実が認定できるとすれば、身体障害者であり、入院して病院での治療を受けていた原告が、治療過程において、病院のレントゲン技師である被告乙川から猥褻行為を受けたにもかかわらず、同被告はこれを否定して争っていることになり、その行為の態様は、極めて悪質であることになる。しかし、仮に被告乙川の主張が真実であるとすれば、同被告は、密室内で女性である原告の治療行為に携わっており、何ら責められるべき行為をしていないにもかかわらず、原告から猥褻行為を行ったとの訴えを受けたことになり、これによって、同被告の名誉及び信用は著しく傷つけられることとなる。したがって、いずれの主張が真実であるかを解明するにあたっては、慎重かつ丁寧に事実の調査に当たる必要がある。

このような特質を持つ本件事件の真実解明のためには、証人及び本人尋問の信用性の判断が極めて重要な意味を持つことになることから、当裁判所は、証人及び本人の記憶が薄れないうちに、できる限り集中的に尋問を行うのが適切であると考え、被告ら代理人が一応の事実の調査を終えた段階である第二回口頭弁論期日において、双方代理人に対し、法廷での取調べを希望する証人及び本人を集中的に尋問することを提案した。

当裁判所のこの提案に対し、双方代理人とも積極的に応ずる姿勢を示し、裁判所と協働して真実の解明に努める訴訟活動を行った。すなわち、原告代理人は、手持資料をできる限り早期に提出するよう求めた裁判所の要請に積極的に応じ、被告乙川が事実を強く争っている事案ではあるが、人証調べの期日前に書証及び原告が尋問申請を予定する者の陳述書を順次開示して被告ら代理人の検討に委ねた。また、被告ら代理人も、被告らの言い分の立証のため、迅速かつ精力的に関係人からの聞き取り調査及び人証申請予定者の陳述書の作成等に当たった。

その結果、平成六年九月二八日の訴え提起後六か月内に、四回の口頭弁論が行われ、争点の整理、書証の提出及び人証の準備がなされ、平成七年四月一八日の第五回口頭弁論期日において、双方当事者の申請する八名全員の尋問(証人六名並びに原告及び被告乙川の尋問)が集中的に実施され、訴え提起後七か月内に全ての証拠調べを終了するに至った。右証拠調べ期日までの間に、被告乙川が被告病院から退職したほか、被告乙川のレントゲン撮影の一部を補助した武藤彩子看護婦及び原告から最初に本件強制猥褻の被害の訴えを受けた狩野光世療育員が被告病院から退職し、原告の脳性小児麻痺による頸髄症等の症状がさらに悪化するという状況も生じたが、右のような訴訟の進行により、これらによる事実解明への障害は比較的少なく、証拠の散逸ないし関係者の記憶の薄れが比較的少ないうちに証拠調べを実施することができ、比較的豊富な証拠資料に基づいて事実の解明に当たることが可能となった。当裁判所は、本件の事実の認定に先立ち、原告及び被告ら各代理人が裁判所と協働して事実の解明に取り組んだ労を多としたい。

二  被告乙川の原告に対する猥褻行為の有無

1  原告の供述及びこれを裏付ける証言

(一) 原告の供述

原告は、その本人尋問(甲第六及び第九号証の陳述書を含む。)において、被告乙川から原告が前記第二の二の1において主張するとおりの猥褻行為を受けた旨供述している。

(二) 証人山中裕子の証言

証人山中裕子は、次のとおり供述している。

被告病院の心理判定員である同人は、平成六年三月一八日午後二時半ころ、レントゲン撮影から戻ってきた原告に会ったが、どことなく投げやりで、いつもと様子が少し異なっていた。午後六時ころ、狩野療育員に伴われて原告がやってきた。原告は山中の質問に答え、「技師から猥褻なことをされた」「相当なことをされた」と述べたが、精神的に参っている様子だったので、それ以上の話を聴くのは翌日にした。山中は、翌三月一九日午前九時から午前一一時過ぎまでの間、原告から事情を聴いた。聴取の結果によれば、原告は被告乙川から原告が前記第二の二の1において主張するとおりの猥褻行為を受けたとのことであり、山中は、原告から「忘れないうちに書き留めてほしい」といわれ、当日、聴取の内容をメモに取った。

そして、証人山中が平成六年三月一九日に取ったメモであるとして、甲第一号証の一が提出されている。

(三) 証人狩野光世の証言

証人狩野光世は、次のとおり供述している。

被告病院の療育員であった同人は、原告とは、職務上の会話のほか、個人的な話や雑談もする関係にあったが、平成六年三月一八日午後四時三〇分ないし四〇分ころ、室看護婦から、原告が「夕食はいらない」と言っていたとの話を聞き、様子を見に言ったところ、いつもと違って押し黙っているので、簡単には口に出して言えないことがあったのではないかと感じ、職員の名前を二、三出して聴いてみたが、「ううん」と言って否定した。その後、「乙川さん? レントゲンの人?」「何かされたの」と聴いてみると、「うん」と答えた。狩野は、自分自身もレントゲン撮影の際、被告乙川からパンツを下げられたことがあったので、「パンツ下げられた?」と聴くと、原告は、「そんなものじゃない」「狩野ちゃんが私の立場だったら食事ができるか」「触られた」「指入れられた」等と話した。狩野は、誰か原告が相談できる人を探してあげなくてはと思い、日頃相談に乗ってもらっている心理判定員の山中に相談した。

(四) 原告、証人山中及び同狩野の供述についての評価

証人山中及び同狩野は、いずれも平成六年三月一八日当時、被告病院の職員であり(山中は現在も被告病院職員である。)、その職務の過程において原告から事情を聴いた結果を述べるものであり、終始、冷静に事実を述べる供述姿勢であった。ことに、証人山中は、記憶を十分に整理し、原告代理人の質問にも、被告ら代理人の質問にも、冷静に、噛み砕いて事実及び自己の認識を説明するよう努め、障害児教育に関する専門教育課程を終了し、心理判定員としての職務に誠実に当たっている様子が窺える供述姿勢であった。

原告の供述には、証人山中及び同狩野の供述と矛盾するところがなく、また、供述態度にも、供述内容の信用性を疑わせるような点は何もない。

2  被告乙川の供述

被告乙川は、その本人尋問において、次のように供述している。

① 被告乙川は、平成六年三月一八日昼前に、原告の主治医である高橋医師が作成したレントゲン検査依頼伝票(乙イ第二号証)を受け取った。しかし、被告乙川は、レントゲン撮影前には、原告の容体を全然知らなかった。ただし、原告の両肩が脱臼していることは聞いたので、持ち運ぶときはよほど慎重にやらなければならないという自覚はあった。

② 午後二時ころ、武藤看護婦が原告を車椅子に乗せてレントゲン室に入室してきた。被告乙川は、午後一時半ころ、原告を連れてくるよう病棟に連絡し、その後、しばらくの間業務の雑用をしていたところ、武藤看護婦と原告が入室してきたので、武藤看護婦が入室した時刻が午後二時ころであることは間違いない。平成七年三月三日付け陳述書(乙ロ第一号証)には、武藤看護婦と原告が入室したのは午後一時三〇分過ぎころであると記載したが、その後、よく思い出してみたところ、それが誤りであることが分かった。午後二時ころであることに気が付いたのは、同月二二日付け陳述書(乙ロ第二号証)を書いた後、すなわち、平成七年三月下旬である。このように武藤看護婦と原告が入室した時刻について記憶違いがあったことは、被告乙川代理人である伯母弁護士には、まだ話していない。

③ レントゲン室では、武藤看護婦から「どのぐらい時間がかかりますか」と尋ねられたので、「頸椎四方向だから、二〇分ぐらいはかかるだろう」と答えた。頸椎四方向の撮影には斜位像の撮影も入るが、武藤看護婦が斜位像の撮影があることを知っていたかどうかは分からない。看護婦には、そのようなことが分からない人が多い。

④ 被告乙川は武藤看護婦に対し、「原告は撮影のときに動きますか、介助が必要ですか」と尋ねたところ、同看護婦は、「原告はそれほど動きませんし、撮影台から落ちることはないですから、まだ時間があるから病棟に戻っていますので、よろしくお願いします。終わったら連絡してください。」というので、その言葉を聞いて、被告乙川は撮影に介助の必要はないと判断した。被告乙川の方から武藤看護婦に対し、病棟に戻っても構わないという趣旨のことを言ったことはない。武藤看護婦が退出するまでの時間は、およそ三分程度であった。

レントゲン撮影をする際の看護婦の付添いについては、特に指示された方針はなく、その患者が撮影のためのポジションを維持することが困難な場合や、患者が動くおそれがある場合に手伝ってもらってはいるが、放射線被爆の問題があるので、できる限り付添いは少なくすべきであると考えている。

⑤ その後、一枚目の正面像の撮影に入り、撮影後、暗室で現像し、撮影の状態を確認し、二枚目の側面像撮影用フィルムをカセットにセットする等の作業をした。ポジションの設定に二分程度、現像に三分程度の時間がかかっている。

⑥ 二枚目の撮影をするため、正面を向いていた原告を側面撮影のためのポジションに移行させ、その上で二枚目の撮影をした。この間、二分程度の時間を要している。

撮影完了後、現像及び三枚目の撮影用フィルムのセット等の作業をし、これに三分程度の時間を要しており、一枚目の撮影のためのポジション設定から二枚目の現像及び三枚目のフィルムのセットまでに合計一〇分程度かかっている。

⑦ 三枚目は左斜位像の撮影であった。斜位像の撮影のためには、原告の上半身を撮影台から起こし、斜め三〇度の角度に保つ必要があるが、原告のそばに行くと、どうもこのポジションを保つのが非常に不安なようだったので、早速病棟に電話し、武藤看護婦を呼んだ。同看護婦は、連絡後すぐにレントゲン室に戻ってきた。被告乙川は、武藤看護婦の助けを借りて、三枚目の左斜位像の撮影をした。その間、三分程度の時間を要し、その現像にも三分程度の時間を要した。その後、四枚目の右斜位像のポジション設定及び撮影に三分程度、現像に三分程度の時間を要した。

⑧ このように、レントゲン撮影時には、行うべき作業が多数あり、これら一連の作業をしなければならないことを考えれば、原告にいかがわしい行為をするような時間的余裕はないはずである。また、そのようないかがわしい行為をしようと考えたとしたら、撮影の途中で介助のために看護婦を呼ぶということはしないはずである。

原告が真にそのようないかがわしい行為をされたのであれば、武藤看護婦がレントゲン室に戻ったとき、直接、その場において、その内容を看護婦に訴えなかったのか疑問である。また、病棟に戻るまでの間においても、状況を看護婦に訴えることも可能であったと思われるのに、このような訴えがないことも疑問である。

3  被告乙川の供述の問題点

被告乙川の右供述には、次のような問題点がある。

(一) 被告乙川は、レントゲン撮影前に原告の障害の状況を知っていたか。

被告乙川は、同被告代理人の主尋問において、レントゲン撮影前には、原告が肩を脱臼しているということを聞いていた以外には、原告の容体を全然知らなかった旨供述している(同被告本人尋問の速記録一〇頁)。しかし、同被告は、原告代理人の反対尋問において、次のように答えている。

「平成六年三月一八日昼前、高橋医師作成のレントゲン検査依頼伝票(乙イ第二号証)を受け取ったが、そこに、『むずかしいかも知れないが、一応4方向で』と記載されているのを見て、すぐに原告の病棟に行って原告と会い、そのむずかしさとはどういうところかを確認した。そのとき、原告は車椅子に座り、首にコルセットをはめていたので、『きょう、お昼から首の写真撮るからね』と告げて戻った。その後、同被告は高橋医師に会い、同医師から、『コルセットを外して撮ってもらえばいいから。首がぐらぐらするかもしれないけど、撮れれば四方向から』という趣旨の指示を受けた。」(被告乙川本人尋問の速記録五〇ないし五二頁)

被告乙川が、右のような調査を行っていながら、同被告代理人の主尋問において、原告の容体を知らなかったと答えたことは、不利益な供述を回避しようとしたものと判断される。しかも、被告乙川は、レントゲン撮影前に右のような調査をしながら、レントゲン室において、斜位像の撮影の有無の認識すらないと考えている武藤看護婦に対し、介助の必要性があるかどうかを尋ね、同看護婦の「撮影台から落ちることはないですから」との言葉を聞いて、撮影に介助の必要性がないと判断したと述べているのであり(前記2の④)、これらの供述の間には矛盾がある。

(二) 武藤看護婦がレントゲン室を退出したのは、自らの判断か、被告乙川の指示か。

被告乙川は、レントゲン撮影開始に際し、武藤看護婦がレントゲン室から退出したのは、武藤自身の判断に基づくものであり、同被告の方から武藤に対し、病棟に戻っても構わないというようなことを言ったことはない旨述べており(被告乙川本人尋問の速記録九頁)、武藤の陳述書である乙ロ第三号証中にも、同趣旨と読める記述がある。

しかし、証人武藤の証言によれば、武藤は、被告乙川からの電話での依頼により原告をレントゲン室に連れて行ったにすぎず、原告のレントゲン撮影の内容を承知しておらず、特に、頸部斜位像の撮影があることは知らなかったことが認められる。そうだとすれば、武藤は、原告のレントゲン撮影について、被告乙川一人でできるかどうかの判断をするだけの前提事実の把握をしておらず、したがって、武藤が自己の判断で、被告乙川一人で本件レントゲン撮影が可能だと結論付けることはできなかったものといえる。同人は、この理を認め、当裁判所の補充尋問においては、同人に対し、介助の必要がないからレントゲン室を退出してよいと指示したのは被告乙川であることを明瞭に供述するに至った(証人武藤の証言の速記録四八ないし五一頁)。

証人武藤の右供述と、被告乙川の前記供述とは、明らかに矛盾する。武藤が原告のレントゲン撮影の際に認識していた状況に照らせば、被告乙川の前記供述は信用することができない。被告乙川は、自らの判断と指示により武藤看護婦をレントゲン室から退出させたという事実についての供述を回避しようとしているものと認められる。

なお、証人武藤及び被告乙川は、武藤が被告乙川から撮影のための介助の必要性について聴かれた際に、武藤は「原告は撮影台から落ちることはないと思います」と答えた旨供述するが、撮影台から落ちないからといって、介助の必要性がないとはいえないのであるから、両者のこの会話は噛み合っておらず、武藤がそのような発言をしたとの証人武藤及び被告乙川の供述は信用しがたい。

(三) 武藤看護婦及び原告のレントゲン室入室時刻について

被告乙川は、武藤看護婦及び原告がレントゲン室に入室してきたのは午後二時ころである旨供述する。原告がレントゲン撮影を終えて病室に戻ったのは午後二時三〇分ころであり(甲第六号証の一三項及び乙ロ第三号証の第六項の4)、武藤看護婦が被告乙川からレントゲン室に戻るよう電話を受けたのは、その約一五分前の午後二時一五分ころである(証人武藤の証言の速記録四三頁、乙ロ第三号証の六項)ことを考えると、武藤看護婦及び原告がいつレントゲン室に入室したかは、被告乙川に猥褻行為をする時間的余裕があったかどうかを検討する上での重要な事実であるといえる。

この点について、被告乙川は、平成六年一一月一七日提出の答弁書において、被告乙川に猥褻行為をする時間的余裕があったかどうかが重要な問題点であることを認識した上で、武藤看護婦及び原告がレントゲン室に入室したのは午後一時四〇分ころであると主張しており、さらに、同被告の平成七年三月三日付け陳述書においても、同被告は、猥褻行為をする時間的余裕があったかどうかが重要な問題点であることを認識した上で、武藤看護婦及び原告がレントゲン室に入室したのは午後一時三〇分過ぎころである旨記載している。

ところが、同被告は、平成七年四月一八日午後四時ころ実施された同被告本人尋問において、武藤看護婦及び原告がレントゲン室に入室したのは午後二時ころであると供述するに至り、時間の記憶に誤りがあると気付いたのは同年三月下旬であると述べた。右入室時刻が重要な争点であることを認識しているにもかかわらず、被告乙川がこのように供述の変更をすることは、極めて不自然である。

武藤看護婦は、平成七年四月一八日午前一〇時三〇分に実施された同人の証人尋問において、同人及び原告がレントゲン室に入室したのは午後二時ころであると供述したものであり、同年三月二九日付けの同人の陳述書にも同趣旨の記載がされている。ところで、同人が右証人尋問において、なぜ二時ころと記憶し、一時三〇分過ぎないし一時四〇分ころではないと考えるのかを聴かれた際の同人の説明は、お風呂が始まっていたので二時ころである、ということに尽きる。しかし、同人は、「時計を一々見て入浴の着脱なんかしませんから」と述べているように、入浴が始まっているということが必ずしも正確に二時ころを意味するとは思えないのに、レントゲン室に入室した時刻に関しては、二時ころであって、一時三〇分過ぎないし一時四〇分ころではありえないと断言しているのであり、その供述態度は不可解というほかない。前記(二)認定のとおり、武藤は、被告乙川の指示でレントゲン室から退出したものであるにもかかわらず、同人の陳述書には、あたかも自らの判断で退出したかのように記載されており、前記の不可解な供述態度も合わせ考えると、武藤は、被告乙川の立場を考える余り、事実に関する謙虚な供述をしようとする姿勢にもとる供述をしたものといわざるを得ない。証人武藤のレントゲン室入出の時刻に関する証言及び陳述書の記載は、信用することができない。

武藤看護婦及び原告がレントゲン室に入室した時刻は、原告が供述するとおり(甲第六及び第九号証を含む。)、午後一時四〇分ころであると認められる。

(四) レントゲン撮影の際の看護婦の付添いについて

証人高橋の証言によれば、被告病院は重症障害者を対象とする医療施設であり、レントゲン撮影の際には、適切な姿勢を取ったり、これを保持する必要があることから、原則として看護婦が付き添うよう、普段から指導していたことが認められる。

これに対して、被告乙川は、レントゲン撮影をする際の看護婦の付添いについては、特に指示された方針はなく、その患者が撮影のためのポジションを維持することが困難な場合や、患者が動くおそれがある場合に手伝ってもらってはいるが、放射線被爆の問題があるので、できる限り看護婦の付添いは少なくすべきであると考えている旨供述する。

しかし、被告乙川の右供述部分は、被告病院の副院長である証人高橋の供述に反するものであり、同被告は、当時、被告病院の唯一のレントゲン技師であった(同被告本人尋問の結果)ことを考えると、同被告が被告病院の方針を全く聞いていないということは考えられない。

被告乙川は、放射線被爆の問題があるので、できる限り看護婦の付添いは少なくすべきであると考えている旨供述するが、この発言は、障害者の治療及び介護に当たっている多数の医療関係者の努力の姿勢をおよそ理解しないものである。被告乙川に指摘されるまでもなく、看護婦その他障害者の治療及び介護に従事する医療関係者は、障害者を介助してレントゲン撮影を行う際に放射線被爆の問題があることは十分に承知しているところである。しかし、それにもかかわらず、障害者の診断にレントゲン撮影が不可欠であることから、プロテクターを着用するなどして防護しつつレントゲン撮影の際の介助にも当たっているものであり、被告病院としても、放射線被爆の問題があることは認識しながら、障害者の医療上の必要から、レントゲン撮影の際の看護婦の介助を原則としているのである。にもかかわらず、被告乙川は、レントゲン被爆問題を持ち出して、看護婦による介助をできる限り避けることを正当化しようとしているのであり、これは、自己犠牲もいとわず患者のために日々尽力している医療関係者の姿勢をおよそ理解しない言い分としか言いようがない。

証人高橋は、本件レントゲン撮影の際の看護婦による介助の必要性について、医師としての立場から考えると、左右斜位像の撮影を含む本件レントゲン撮影については、看護婦による介助が必要であった旨供述している。同証人が被告病院の副院長であることを考えると、本件レントゲン撮影についての看護婦の介助の必要性を同証人がこのように明言することは、医師としての良心に基づく決然とした姿勢であり、十分な重さをもって受け止めるべきものである。当裁判所が現認した原告の状態からしても、不随意運動があり(証人高橋の証言によれば、これに加えて脊椎に側彎があり、斜位の設定が大変難しいという。)、頸部にコルセットを装着している原告について、コルセットを外して頸椎の斜位像のレントゲン撮影をするのに、介助が不要であるとは考えにくい。

被告乙川は、レントゲン撮影に着手した当初は、左右の斜位像の撮影も含め、原告のレントゲン撮影に看護婦の介助が必要であるとは考えていなかった旨供述するが、事前に原告の病室を訪れて原告の容体を現認し(前記(一))、また、武藤看護婦がレントゲン室において原告の頸部のコルセットを慎重に取り外しているのを現認しながら(乙ロ第三号証の五項)、長年にわたってレントゲン撮影に携わってきた被告乙川が、左右の斜位像の撮影を含む本件レントゲン撮影を看護婦の介助なしでできると考えていたものとは、到底考えがたい。同被告の右供述は信用できない。

被告乙川は、当裁判所の補充尋問に答えて、斜位像の撮影には看護婦の介助が必要だと気付く前に、毛布及び枕を使用して、原告が一人で斜位像の撮影のためのポジションを保つことができるかどうか試みたが、うまくいかず、介助者が必要であることが分かった旨供述する(同被告本人尋問の速記録六二頁)。そのような試みは、一定の時間を要する行為であり、印象に残りやすい行為であると思われるのに、被告乙川作成の陳述書(乙ロ第一号証)には、その旨の記載がなく、また、同被告は、自己の代理人の主尋問に対しては、三枚目の斜位像の写真を撮ろうと思ったときに介助が必要だと判断し、すぐに電話で武藤看護婦を呼んだ旨供述している(同被告本人尋問の速記録一三頁)。しかも、武藤看護婦はすぐにレントゲン室に駆けつけたにもかかわらず、被告乙川と武藤看護婦の間には、発砲スチロール様の補助具の話が出てくるほかは、毛布や枕でポジションを保つ努力をしたことを窺わせるような形跡ないし会話は何もない。被告乙川の右供述部分も信用できない。

(五) 被告乙川の供述の信用性の判断

以上のとおり、被告乙川の供述は、他の証拠との矛盾点及び他の証拠と対比した場合の疑問点が多く、同被告の前記2の供述のうち、原告並びに証人山中及び同狩野の供述と抵触する部分は、信用することができない。

4  その他の証拠について

(一) 証人富沢の証言及び看護記録の記載

乙イ第四号証によれば、平成六年三月一八日の原告の看護記録には、「21時、M少量+」との記載があることが認められ、証人富沢マキ子の証言によれば、同人は、同日午後九時ころ、原告のトイレ介助をした際、膣から出血があることを認め、生理による出血の趣旨でこのような記載をしたものであることが認められる。しかし、同証人の証言によれば、同人は、原告に質問したり、生理の終了の有無を看護記録に当たって調べたりすることなく、膣からの出血なので生理だと判断したにすぎないことが認められるのであり、したがって、右看護記録の記載は、その出血が生理による出血であるということを示す証拠とはいえないものである。

前記1ないし3の認定判断を総合すると、右看護記録の記載は、被告乙川が原告の膣に指を入れるという行為に及んだ結果、出血が生じたことを推認させるものである。

(二) 三田医師の診断

甲第二号証及び証人三田俊二の証言によれば、原告は、猥褻行為を受けた翌々日である平成六年三月二〇日、日本医科大学付属多摩永山病院を訪れ、産婦人科医である三田医師の診断を受けたこと、同医師が診察したところ、少量の茶褐色の下りものが認められたので、念のため止血剤を二日分投与したが、その他の出血や創は認められなかったこと、同医師に対する原告の説明では、三月一三日に生理が始まり、五日間で終わった(一七日)とのことであったこと、原告の訴えも総合して、同医師は、原告について「膣壁挫傷」と診断したこと、同医師は原告から診断書の発行を求められたが、右のような状況から、診断書を書く状況にはないので、証明書(甲第二号証)の発行にのみ応じたことが認められる。

右認定事実によれば、原告が三田医師の診断を受けた日が猥褻行為を受けた日の二日後であったため、原告には膣内に出血や創は認められなかったものの、茶褐色の下りものは認められ、原告の訴えも総合した同医師の判断によれば、膣壁挫傷と診断されたというのであるから、右事実も、原告が被告乙川から猥褻行為を受けたことを補強することになるものであり、これを否定する材料となるものではない。

(三) レントゲン室の密室性の有無

乙イ第五及び第六号証によれば、被告病院のレントゲン室には、撮影室と操作室に一つずつ廊下から出入りができる扉があり、そのうち、撮影室の扉は内側から鍵が掛けられるが、操作室の扉は、内側から鍵を掛けることができないこと、撮影室と操作室の間には小窓と扉があり、扉には鍵が掛からないことが認められる。しかし、そもそもレントゲン室は放射線を扱う場所であるため、レントゲン取扱者の許諾なしに人が出入りすることは余り考えられない室であり、特に、レントゲン操作室は、撮影室以上に人の出入りが少ない室であるといえる。したがって、操作室に内側から鍵が掛からず、操作室と撮影室の間に小窓があり、扉に鍵がかからないからといって、レントゲン室の密室性が低下するものではない。まして、本件においては、原告が供述するとおり、被告乙川によって撮影室に内側から鍵が掛けられた事実が認められるのであり、密室性は極めて顕著であったといえる。

5  被告乙川の付随的主張について

(一) 被告乙川がレントゲン撮影途中で看護婦を呼んだことについて

被告乙川は、その本人尋問において、原告主張のような猥褻行為をしようと考えたとしたら、レントゲン撮影の途中で介助のために看護婦を呼ぶということはしないはずであると述べる。

しかし、前記3認定のとおり、被告乙川は、原告のレントゲン撮影のためには看護婦の介助が必要であるのに、あえて武藤看護婦を退出させたものであり、後に同看護婦を呼び戻したのは、斜位像の撮影が介助なしでは不可能であったためである。むしろ、被告乙川が原告主張のような猥褻行為をしようと考えなかったなら、看護婦を一時にもせよ退出させるという行動はとらなかったはずである。被告乙川の右主張は理由がない。

(二) 原告が直ちに猥褻行為による被害を訴えなかったことについて

次に、被告乙川は、原告が真にそのようないかがわしい行為をされたのであれば、武藤看護婦がレントゲン室に戻ったとき、直接、その場において、その内容を看護婦に訴えなかったのか疑問であり、また、病棟に戻るまでの問においても、状況を看護婦に訴えることも可能であったと思われるのに、このような訴えがないことも疑問であると述べる。

しかし、重度の身体障害により入院中の原告が、レントゲン技師から猥褻行為をされた場合、差恥心や屈辱感で、たやすく人にこれを訴えることができないことは、医療従事者である被告乙川自身がよく承知しているはずである。にもかかわらず、原告の差恥心や屈辱感を逆手に取るような主張をするということは、医療従事者の常識を逸した行為というほかない。原告がその後本件猥褻行為を第三者に訴えたことについては、むしろ、原告から事の一部始終を聞き出した被告病院の職員である狩野及び山中の誠意と努力を讃えるべきものである。

(三) 被告乙川に対する差出人不明の書簡について

被告乙川は、その本人尋問において、同被告の行動を非難する差出人不明の書簡が原告に関係するものであるかのように供述する。しかし、原告は、弁護士を代理人に選任して本件訴訟を提起し、被告乙川の責任を公の場で追及しているものであり、そのような原告ないし原告の関係者が、差出人不明の書簡により同被告の行動を非難するということは考えられない。同被告が陳述書とともに提出した右書簡を読んでみると、同被告の事情に詳しい者が同被告の過去の行動についての反省を迫るためにこれを差し出したものと認められ、匿名でそのような書簡を差し出すことは感心できないことではあるが、これと原告とを結び付ける被告乙川の主張は、筋違いというほかない。

6  結論

以上のとおり、証人山中、同狩野及び原告本人の前記1の供述は信用することができ、被告乙川が原告主張のような猥褻行為に及んだことが認められるのであり、この事実を否定する被告乙川本人の供述は信用することができない。したがって、被告乙川は原告に対し、右不法行為により原告が被った損害を賠償すべき責任がある。

三  被告法人の責任

被告法人は、本件事件発生当時、被告乙川の使用者であったものであり、本件猥褻行為は被告乙川の被告病院における職務に関連して行われたことが明らかであるから、被告法人は原告に対し、被告乙川の前記二の不法行為によって原告に生じた損害を賠償すべき責任がある。

前記二に認定したとおり、被告乙川による猥褻行為は、通常の医療関係者には理解しがたい被告乙川個人の性癖に基づくものであると考えられるが、そうであるとしても、被告法人の被告乙川の使用者としての責任は免れない。被告法人は、原告代理人から本件猥褻行為を指摘する平成六年四月一一日付けの書面を受け取って初めて原告の本訴請求に係る主張を知った旨主張する。しかし、仮にそうであるとしても、そのような指摘を受けた後も、指摘を受けた直接の職員である被告乙川とレントゲン撮影の介助に当たった武藤看護婦から事情を聴いたのみで、原告と被告乙川の言い分が全く食い違うのに、被告病院のその他の職員に情報の提供を求める努力をした様子がなく、原告主張のような事態が将来にわたって生ずることのないよう対策を検討した形跡も認められない。被告法人が被告乙川の素行に相当な関心を払っていれば、同被告を雇用したことはやむをえないにしても、その後、何らかの対処をしえたはずであり、被告法人がその使用者責任を争う余地はない。

四  原告に生じた損害

原告は被告乙川による不法行為により、性的自由を侵害されたものであり、また、重度の障害を持つ身体障害者である原告が病院内のレントゲン室において、医療行為に携わる者から猥褻行為を受けたものであり、これによる原告の屈辱感及び恐怖感は極めて大きいものといえる。原告は、その障害のゆえに、将来にわたって医療機関に対して信頼を寄せ、援助を受けていかなければならない者であるが、そのような原告が、現に治療及び介護を受けている医療機関内において本件不法行為を受け、それによって医療機関に対する信頼を裏切られたのであり、これによる原告の精神的苦痛は重大である。

本件不法行為は、既に認定したとおり、被告病院の指示も無視した被告乙川の個人的性癖に基づくものであり、このような個人的性格を有する不法行為によって被告病院ないし医療機関一般の信頼が直ちに揺らぐものではない。現に、被告病院においては、その複数の職員が原告に対し医療従事者としての誠意と熱意をもって接し、原告の精神的打撃からの立ち直りに力を尽くしてきたのであり、このような努力と原告代理人による事実解明のための努力によって、原告は本件不法行為による精神的打撃を克服し、今後とも医療機関に対して信頼を寄せる気持ちを持ち続けることが不可能ではない状態にあるものと考えられ、これは原告の今後にとって明るい材料であるといえる。しかし、原告がこのような状態にあるからといって、被告乙川の本件不法行為責任の重大さは、いささかも軽減されるものではなく、また、被告法人の使用者責任の程度が軽減されるわけではない。

原告の右精神的苦痛並びに被告乙川が原告の主張を頑強に否定したため、原告としては弁護士を代理人に選任して本件訴訟を提起せざるをえなくなり、弁護士費用を要することとなったこと、及び弁護士費用の相当額等を考慮すると、被告らが原告に対して支払うべき慰謝料の額は、三〇〇万円をもって相当と認める。

なお、原告が支払を要することとなる弁護士費用については、右のとおり慰謝料の算定の際に考慮したので、これを独立の損害として認定することはしない。

五  結論

以上のとおりであるから、原告の請求は、被告らに対し、連帯して三〇〇万円の支払を求める限度において理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、原告の勝訴の程度、本件訴訟の経過、攻撃防御方法の提出の態様その他の事情を考慮し、訴訟費用は被告らの連帯負担とし、申立てにより原告勝訴の部分に仮執行の宣言を付することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官園尾隆司 裁判官森髙重久 裁判官古河謙一)

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